オリーブの里 聖会のご案内

二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、私もその中にいるからです。

教派教団を超えて、クリスチャンが日頃の慌ただしい日常生活から離れ、
静かな自然の中で、神との交わり、同信の兄弟姉妹との交わりを通じて
霊肉共にリフレッシュされる。そのような目的で年に10回、
金・土曜日に1泊2日の聖会を開催しております。
未信の友人知人をもお誘いし、伝道の場としてもご利用下さい。

オリーブ聖会 バックナンバー

オリーブ

  • 2017年11月17日18日 第141回

    『祈りで変わるもの』
    ハバクク
    マタイ14:13-21
     「祈りで変わるもの」目を上げて  ハバクク
    神様は祈るとき何を変えてくださるか?
    「祈り」は神様が世界に何をしようとしておられるかを見ること。
    ハバククは自分の国が攻められているのを見た。悲惨を見た。回りをちゃんと見ることは大事なこと。見る、考える、悩むことは大切。祈っていても、何も起きていないように見えることがある。神様は「見よ。驚き、驚け」と語られる。神様の祈りの答えは自分の予想、想像、常識をこえてやってくる。信じられない、期待をこえて、まさかという方法でかかわってくださる。
    ハバククは姿勢が変わる。心の中だけでなく、事柄の中に神様を見ようとする。神様のみことばの当事者になるという姿勢になった。神様の働きに用いられたい。イエス様の思いを感じ取れる姿勢に祈りによって変えられたい。イエス様の心にふれる。
    神様の心にふれた祈り手は動き出す。黙っていられない、じっとしていられない。祈りは人を変えていく。

     「祈りで変わるもの」手を上げて  マタイ14:13-21
    19 五つのパン、2匹の魚を手にイエス様は天を見上げて祝福された。聖書で「食べること」は重要。エデンの園でも、荒野のマナも、エリシャのパンの奇跡、イエス様も食事を罪人たちとされた。だれとどう食べるか。神様が人を養う奇跡がある。
    弟子たちは「時刻ももう回っています」時は過ぎている、時間切れ、無理です。「…ほかありません」パンもなかった。足りない。足りないままイエス様に明け渡そう。
    天を見上げて「感謝」するとき神様の御業を見る。

    米内 宏明師  日本バプテスト教会連合理事長 国分寺バプテスト教会牧師
  • 2017年10月20日21日 第140回

    『信仰生活の十段階』
    ルカ5:1-11
    1、選びと出会いの段階 だれに出会うかで人生が変わる。ヨハネ15:16 イエス様がペテロを選んでくださった。
    2、自分のものを捧げる段階 ペテロはイエス様に「舟」を差し出した。主との深い関係になる。3T(Time、Talent、Treasure 時間、賜物、宝)を差し出そう。
    3、み言葉を学ぶ段階 ローマ10:17 み言葉を聞いて主との関係は深くなる。
    4、命令をもらう段階 「深みにこぎ出して、網をおろしてみなさい」
    5、あえて従う段階 「でもおことばですから」1サムエル15:22
    6、奇跡を体験する段階 そのとおりにすると「おびただしい魚がとれた」。
    7、キリストを発見する段階 「先生」が「主よ」に変わる。(奇跡の)体験だけでは不十分。救い主との関係にすすもう。
    8、使命が与えられる段階 「わたしについてきなさい。…人間をとる漁師にしてあげよう」。イエス様はすばらしいコーチ。私たちをよく知って、持っているものを生かして使命を与えてくださる。
    9、所有を捨てる段階 所有を(舟、網)することよりも大切な「存在」を見出そう。
    10、全き献身の段階 主のために捧げて恵みを見出させていただこう。

    聖ヶ丘教会 朴 壽吉牧師
  • 2017年09月15日16日 第139回

    『主なる神様の愛の徹底』
    創世記15:12-21
    ホセア11:1−11
    「私たちが受けた恵みについて」創世記15:12-21
    神との契約に誠実を尽くせない人間のために、神が古い契約から、神が一方的な恵みによって立てられる新しい契約という大きな変化のうねりを語る
    神ははじめに厳しい契約を与え、その後の恵みの契約を与えたのではない。ノアの契約、アブラハムとの契約も神の一方的な恵みの契約であった。
    創世記15章で契約を結ぶために裂かれた動物の間を通られたのは神であった。アブラハムは寝ている。この神の愛が必然的に新しい契約へと実を結んでいった。
    人間は主と共にあっても眠りこけている存在であることをゲッセマネの祈りの物語は伝える。けれども、契約への不忠実が極まったところで、神の御子がその身を裂き、血を流してくださった。契約に不誠実な者が担うべき運命を担って下さった。それは新しい契約の血であると、主イエスは語られたのである。契約を守り続けるという神の覚悟、責任をおい、愛してくださっている。

    「災いをくだすことを悔いる神」ホセア11:1−11
     神の「悔いる」ことは神の心変わりではなく、契約の対称である人がかわったことによる。洪水の前のノアの時代やサウル王のように。度重なる罪のために恩恵を悔い、「裁き」が訪れる。裁きの後に恵みを悔いることは二度と繰り返されることはない。
     預言者は災いをくだすこと、裁きの計画を悔い、思い直す神を語っている(アモス7)。「民が小さすぎる」という理由に続けられる裁きの思い直しが、限界にたっして裁きをまねく。
     さけられない裁きの中にも「見捨てることのできない」神のあわれみをホセアは語る。
    神の「悔いる」ことがなければ罪人は裁きを免れない。神がご自分の民を守ろうとされる心は、罪に従って裁こうとする心よりも強い。私たちはあわれみによって生かされている。

    大澤正芳 先生 金沢元町教会牧師
  • 2017年7月21日22日 第138回

    油断大敵『予備の油を最後まで堅持しよう』
    マタイ25:1〜13
     イエス様の遺言のようなメッセージ。3品1セットのたとえ話。
    1. 賢い乙女と愚かな乙女のたとえ「自分を愛する」1-13
     天の神様は一人でもたくさんの人を天国に迎え入れたいと願って、耐えて、忍んでおられる。だれでも、いつでも、どこででもただ信じて救われる救いをイエス様はしてくださった。「予備の油」(信仰の義)は花嫁の父(家)が用意する。受け取るのは乙女たち自身。賢さ、愚かさを分けるのは信仰、受け取ることだけ。イエス様を救い主と信じて受け取ろう。
    聖書の本髄は心、魂、知性、体力をつくし「神を愛すること、隣人を自分と同じように愛する」こと。2つの戒め、3つの愛。全人生、全人格をもって「神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する」。自分を愛することは神様から愛されて始まる。

    2. タラントのたとえ。「主人への愛」14-30
     3億、1億2千万、6千万を能力に応じて与えられた。能力、個性に応じて期待度、任務が与えられた。涙、苦労、忍耐があってそれぞれ3億、1億2千万稼いだ。主人は苦労を知っているので感動し、満足し、喜んでいる。主人を愛して、喜んでくれるように、感動してくれるように、期待に応えたいと思って働いた。6千万のしもべにはこの主人への愛がなかった。

    3. 「隣人を愛して生きる」31-46
    救いは律法の行いによるのではない。キリストの恵みと信仰で救われた人は律法の実践に生きる。神に喜ばれるため「小さい者を愛する」信仰生活をおくる。旅人のように居場所のない人への助け、親切、やさしい言葉、励ましをイエス様は知っておられる。鉄格子のない牢獄の孤独、失望がある。挨拶、見舞うだけでいい。
    自分を愛し、神を愛し、隣人を愛して生きるキリスト者生活をおくろう。

    岸 義紘 先生 JTJ宣教神学校前学長・現講師
  • 2017年06月16, 日17日 第137回

    「主とともに歩む」
    ローマ8:18−28
    黙示録3:14−22
    「すべてを働かせて益とする神」 ローマ8:18−28

    「まいったな」という出来事(苦しみ、試練、失敗、弱さ)というパズルの一片を経験する。その中でパウロは3つのことを「知る」。そして生き抜いていく。

    1.私たちのうめき ありのままの自分、他人を受け入れるうめきがある。
    2.聖霊様のうめき 共にいて、代わって、担って助けてくださる。万事が共に働き益となる(共同)。神は召された者と共に働く(口語)。聖霊はすべてが益となるように働かれる(フランシスコ)。パズル全体を完成させてくださる。
    3.神の計画の行きつくところ 29,30「さらに…さらに…さらに」神の計画は始まっていて、ゴールがある。キリストの十字架と復活がある。

    「ともに食事をしよう」 黙示録3:14−22

    イエス様は教会から締め出されていることがある。イエス様をお迎えし、食事をしていこう。

    1.神の愛を学びなおす。0-3歳の親子関係がその後の人生に大きな影響を与える。
        クリスチャンは牧師から神の愛を学ぶ。
        人の成功、成果主義(ゴミ)を捨てて、神の愛を学びなおそう。

    2.食事をする。一緒に食事をする。食事はもてなしがあり、心を通わせ、交わりがある。
        「祈り」は4つのプロセスがある。
        1)私が話す。 2)神が聞く。 3)神が語る。 4)神の語ることを聞く。
        心の扉をひらいて、一人で食事をしないように注意しよう。
    3.買いなさい。試練、純潔、識別し神の栄光をみることを選び、買いなさい。

    藤本 満 師 インマヌエル高津キリスト教会牧師
  • 2017年5月19、日20日 第136回

    『天をみつめて』

    黙示録2:1-7
     イエス様がエペソの教会に語られた。信仰もって生きるのは大変。戦いがある。筋の通 った信仰を生きると戦いが起きてくる。誰も見てない「行い、苦労、涙、我慢、忍耐」を イエス様は知っておられる。
    初めの愛から離れてしまっていた。「初めの愛」純粋な愛、最高の愛に生きよう。弱さ 、足りなさをご存知の上で神様は愛してくださった。神様の愛を受けとり「ありがとうご ざいます、感謝します、幸せです、あなたを愛します」と生きよう。その愛から離れ、忘 れてしまっている。思い起こして立ち返ろう。勝利をえるものとして生かされよう。

    黙示録4:1-11
     教会は迫害の中にあった。これからどうなるだろうと心配な、不安な状況だった。その 中でヨハネは「天に一つの開いた門、御座、御座につくお方」を見た。世界の真の支配者 、神様がおられる。天も地もすべての生き物の賛美が響いていく。「聖なるかな」私たち をはるかに超えたお方。万物の支配者。変わることがないお方と賛美する。「栄光」を賛 美する。「ほふられた小羊」が賛美されていく。四つの生き物、二十四人の長老、何千何 万のみ使い、すべての造られたものの賛美が響きわたる。神様をあがめ、礼拝する。心を あわせ、声をあわせ神様を賛美し、礼拝していこう。

    日本ホーリネス教団東京中央教会主任牧師 錦織寛先生
  • 2017年4月21日、22日 第135回

    『聖霊様のお働き』

    テサロニケ5:19
     私たちクリスチャンはイエス様を救い主と信じた時、聖霊様を心と人生の中にいただいた(ガラテヤ3:2)。神様はイエス様によって聖霊様を豊かに注いでくださった(テトス3:6)。
     イエス様の名で祈るようになった人、イエス様を信じる人は聖霊様と生きる人になる。
     人は霊、たましい、体をもっている(1テサロニケ5:23)。神のいのちの息(霊)を吹き込まれた、霊をもった存在(創世2:7)とされた。聖書の教える「霊」を正しく知り、聖霊様を慕い求めましょう。切に求めましょう(イザヤ26:9)。聖霊様に満たされると体も反応して御霊の現れをみる(1コリント12:8−10)。
     聖霊様に導かれて信仰生活を前進しよう。

    個人伝道研究会「地の果てまで」主宰 鈴木崇巨先生
  • 2017年3月17日、18日 第134回

    『苦難での主の臨在と招き、そして祝福』
    マルコ6:45〜52、ヨハネ21:15〜22
    1.私たち人間は、絶望のどん底に追い込まれなければ、神の恵みを真に悟ることのできない愚かな者である。
    2.私たちは、絶望のどん底に追い込まれた時、否が応でも自分の弱さ醜さに向き合わざるを得ない。
    3.しかし、私たちがどんなに罪深い者であっても、神は私たちと共にいて下さる。
    4.そして私たちを絶望のどん底に追い込む苦難が、その神の恵みを私たちに悟らせる良い機会となるのである。
    5.「詩篇119:71、ヘブル12:11」(筆者の感想)。

    清瀬福音自由教会牧師 岩井基雄先生
  • 2017年2月17日、18日 第133回

    『信仰の成熟を目ざして』
    ヨシュア記1章1〜9節、ルカの福音書5章1〜9節
    1.40年の荒野の旅を終えた今、イスラエルの民は約束の地カナンを目の前にしていた。しかし、そのカナンに進んで行くには、滔々と水の流れるヨルダン川を渡らなければならなかった。それなのに神は「今、ヨルダン川を渡れ」と仰った。ヨシュア率るイスラエルの民は、神のご命令に従い、信仰をもってヨルダン川を渡り、カナンの地へと入って行った。つまり、信仰の一歩を踏み出すか否かが、祝福を受けるか否かの分かれ道となるのである。

    2.私たちは、人生の中に起こることは選べないが、その出来事に対してどのように対処するかについては、選ぶことができる。ペテロたち漁師が、一晩中働いても全く不漁であった時、イエス様は、魚など一匹も取れるはずのない昼間なのに、「沖へこぎ出して網を下ろしなさい」と命じられた。そこでペテロ が、「魚など取れるはずもありませんが、イエス様のお言葉ですから」と網を下ろしてみると、考えられない程の大漁を見た。これはペテロが、とても不可能に思える現実の中にあっても、信仰をもってイエス様のお言葉に従った結果である。

    3.人の目には、いかに悲観的絶望的に思える状況であっても、主の御言葉に従って歩んで行く時、不可能が可能へと変えられていくのである。

    峰町キリスト教会主任牧師 安食弘幸先生
  • 2017年1月20日21日 第132回

    『祈りが育む神との友情』
    詩編63:1〜12(新共同訳)
    詩篇63:1〜11(新改訳)
    1.聖書とはどのような書物であろうか。それは「神と人との『友情関係』」について書かれた「関係の書」である。
    2.友情関係とは、一方通行の関係ではなく、相互関係によって育まれていく。
    3.神との相互関係によって育まれた友情関係の例
     (1)エノク(創世記5:24)
      ?神とともに歩む人はへりくだった人である。
      ?ところが、私たちには元来、へりくだる力はない。
      ?だから神は、私たちをへりくだった者とする為に、様々な試練を通して砕かれる。 
      ?しかし神は、只私たちを砕かれるだけではなく、必ず癒して下さる。
      ?この体験を通して、砕かれた私たち(人)と、砕いた方(神)との間に友情が育まれていくのである。
     (2)ダビデ(詩篇84:1〜4、新改訳)
      ?ダビデは何故、主の家に住むことを願ったのか
      ?それは、彼がいつも自分の前に主を置いたから(詩篇16:8)
      ?「主を自分の前に置く」とは、「過去において主がいかに恵みを施して下さったか」を思い起こすことである。
      ?私たちには、いつも主の恵みが降り注がれている。そのことにいつも思いを馳せる時に、私たちの心に神に対する感謝が満ちあふれて来る。そしてそのことを通して、私たちと神との間に友情が育まれていくのである。
     (3)イエス・キリスト(ヨハネ15:15,13)
      ?人と人との関係、それは「恩を受ければ必ずそれに報いる」、平たく言えば「お返しをすること」が求められる関係である。
      ?しかし、イエス・キリストの十字架を通して現わされた私たちに対する神の愛は、「お返しを求めない」無償の愛である。
      ?私たちは、神様に何かを「お返しする」のではなく、その愛を感謝して素直に受けることによって、神様と私たちとの友情が育まれ深められ、その絆が強められていくのである。

    上野のキリスト教会主任牧師  重田稔仁 先生