オリーブの里 聖会のご案内

二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、私もその中にいるからです。

教派教団を超えて、クリスチャンが日頃の慌ただしい日常生活から離れ、
静かな自然の中で、神との交わり、同信の兄弟姉妹との交わりを通じて
霊肉共にリフレッシュされる。そのような目的で年に10回、
金・土曜日に1泊2日の聖会を開催しております。
未信の友人知人をもお誘いし、伝道の場としてもご利用下さい。

オリーブ聖会 バックナンバー

オリーブ

  • 2019年2月15日16日 第153回

    『困難を乗り越える信仰』
    ヨハネ16:33
     信仰生活に勘所がある。クリスチャンは世に勝つ者である。私たちは「勇敢」であろう。

    1. 心の態度 聖書の神は全知全能、どこにでもいて、愛の神。最善最高をしてくださる。偉大な神を正しく知り、信じよう。自分が何者かを知ろう。ヨシュアとカレブは神を信じ勇敢だった。ゴリアテと戦ったダビデも神を信じて勇敢だった(詩篇16:8)。

    2. 主をあかしすること ヨシュアは自分がだれに仕えるかをはっきり伝えている。使徒16: パウロとシラスは賛美している。勇気が必要。マタイ10:

    3. 捧げること イエス様と命のかかわりをもつこと。深いかかわりを深めていこう。ローマ12:1 献身を意味する。全焼のいけにえのように自分をささげる。御子の命を与えてくださった主に、命をかけてささげよう。

    神様は祝福してくださる愛の神様。祝福を受け取る管(信仰)を大切にしよう。

    安食弘幸先生
    峰町キリスト教会主任牧師
  • 2019年1月18日19日 第152回

    『父の傍(そば)でいきる』
    ルカ15:11-24
     ルカ15:11-24
     弟が財産を分けてもらった。父と相談して、信頼されて財産を分けてもらうのがすじ。弟は父から離れて生き始めた。本当の自分を求めて、放蕩(救いのない生活)がはじまった。人生の浪費、時間の浪費、お金の浪費になった。大切なものを失っている。取り返しがつかない。失敗の積み重ね。神の導きを聞かなかった放蕩、祈りなき放蕩、悔い改めなき放蕩、神との交わりのない放蕩。偽りの輝きが放蕩をもたらしていく。
    弟がたどり着いたのは豚の世話だった。「我に返った」自分自身に戻る。自分のおろかさ、傲慢さ、大きく見せようとし、強がった自分。自分の小ささ、罪人に気が付くことは大切。神様にはバレている。
     父を思い出した。父との記憶があった。父との関係を思い出した。財産を任せてくれた父。信じてくれた父、愛してくれた父を思い出して、われに返れた。
    父は名を呼びながら走りよっている。待っていた。弟が見つける前に見つける。「お父さん」と呼ぶ前に名を呼んでくださる。「ゴメンナサイ」の前に抱きしめてくださる。「子と呼ばれる資格はありません」の前に新しい服、指輪、靴。「お前は私の子」であることをあらわしている。雇人の一人なることを望んでいない。イエス様の十字架に帰ろう。父のもとに帰ろう。

    大嶋重徳先生
    KGK総主事

    (メッセージの一部です。詳しくはCDをご利用ください)
  • 2018年11月16日17日 第151回

    『主と契約を結んだ者として生きる』
    創世記18:16-33
    創世記18:16-33 契約を結んだ者の務め
     私たちは契約、神の国、キリストの栄光を受け継いできた。祝福、契約を受け継いでいる。平安、喜び、永遠の命の喜びである。それを伝えていこう。アブラハムは恵みによって豊かに祝福された。自分が神の祝福の源になることを受け継がせる。
     アブラハムは祝福されることがわかっているので、ロトに先に土地を選ばせる。ロトは低地(人の集まるところ)を選ぶ。ロトは人と契約(生活、婚姻など)を結び、戦いに巻き込まれる。アブラハムはロトを救出する。悲しい体験から学ぶ必要がある。自分を変えることが必要。そこから学べないなら滅びしかなくなる。アブラハムは滅びゆこうとするロトを見捨てない。
    頑固さ、かたくなさは抜けない。エジプトを引きずった奴隷根性、不平不満、文句しか言わない、皮肉しか言わない荒野の民は死にたえてしまう。イエス様の十字架に死んで、キリストが生きる歩みをし、新しく生まれた人として進もう。
    アブラハムはイエス様のように、神様の心にのっとってロトのためにとりなす。滅ぼされても当然の者のためにとりなしていく。主の正義と公正のために、へりくだりながら大胆に祈っていく。主はアブラハムの祈りに応えてくださる。
     アブラハムのように主の心をいただいて祈り、祝福となる歩みをしよう。ソドムを滅びから救う10人の正しい人になろう。祝福する者となる特別なクリスチャンになろう。世界を祝福するために献身した者となろう。

    川端 光生 先生
    キリストの栄光教会

    (要約はメッセージの一部です。詳しくはCDをご利用ください)
  • 2018年10月19日20日 第150回

    『光に向かう道』
    1テモテ5:1-8
    1テサロニケ4:13-14
    ホッとする群れへ「その年にふさわしく」1テモテ5:1-8
      世代にふさわしく仕えることを大切にしている。あらゆる仕方で宣教をしている。
      日本人に届きたいと願い「日本人のような顔だったらいいのに」と涙された宣教師によって教会が開拓された。また自分の宣教師としての体験から「無意味なことをしない」を学んだ。一人ひとり(年齢差)を大切にした。幼子のための礼拝、幼稚科、小学下級、上級がある。未信者の親のためのクラス、韓国語のクラス、若者のにぎやかな時間をもつ。英語、韓国語の同時通訳、幼稚園、フリースクール、デイサービス、障害者支援、放課後のサービスなど取り組んできた。
      高齢者のための月1回集会キラキラ会をする。「はってでも行こう」と楽しんでいる。そこから受洗者もあたえられている。訪問介護、出張聖餐式もある。人生の最後まで礼拝できるように取り組んでいる。
      ヘンリー・ナウエンの「闇への道、光への道」の中で祖母のことを書いている。美しい老後、平安な最期がある。年を取ることは闇への道だけでなく、光にもなりうる。

    悲嘆から希望へ 1テサロニケ4:13-14
      土浦赴任で最初の告別式でむなしさを覚えた。式文通りすすめたが、遺族の悲しみを受けとめ、永遠の喜びと希望、遺族への慰めがあったろうかと考えた。また、ジャワ宣教経験から儀式の中に象徴的な儀礼(シンボル)にふれた。そこから悲しみ、慰め、希望を表せる葬儀を心がけてきた。
      お葬式は通過儀礼(人生の節目にある儀式) キリストの福音のあらわれる葬儀儀礼を考え、文化にあう取り組みをする。遺族の悲しみに共感する。教会をあげてクリスチャン遺族を励ます。長期的宣教の展望をもって取り組む。教会葬儀時の未信者へ宗教儀式を強要しないように配慮し、「教会のお葬式は良かった」と言ってもらえるように努力している。
      同じ機能をはたす代わりの機能をもつことが大切。福音をシンボルとして意味を表すものを用意する。「骨になっても伝道したい」という希望から納骨堂を宣教の基地にしている。「骨」を持つと遺族に宣教できる。記念会伝道をする。
    故人を偲ぶ家庭祭壇で「天のエルサレム」をイメージする意味を大切にする。戒名の代わりに「天名」。
      一般恩恵に基づく葬儀。教会員の未信者家族の葬儀も悩んだがやってきた。救いには預からなかったがその人も神の好意(マタイ5:45)、忍耐(2ペテロ3:9、使徒17:28、ヨナ4:10)を受け生きてきたので未信者のかたの葬儀をする。神に造られた故人に敬意をはらい、神のもとに帰る。遺族の慰めになるように心を配る。伝道は葬儀後にしていく。
    キリスト教葬制文化に取り組んでいきたい。

    清野勝男子先生
    土浦めぐみ教会主任牧師
  • 2018年9月21日22日 第149回

    『最高のものを主に献げよう!』
    ルカ7:30-50
    マタイ26:1-16
    ルカ7:30-50
     この女性の行為は一生の間で見られない光景である。:36「招いた」シツコイ、魂胆がある、終わらないまねきだった。歓迎の作法は足を洗う水、油を注ぐ、口づけのあいさつ。しかし
    シモンの家にはなかった。群衆を惑わす、赦されざる、危険人物としてイエスを考え、捕えて、訴え、死刑にするため招いた。
    この女性は裏を見抜く、裏を知る、背後の黒い情念を知った、イエス様が危険な目にあう様子を見た、侮辱と非礼を知った。女性はイエス様の足が濡れるほど涙し、髪をタオル変わりに拭き、香油を注いだ。シモンに対する怒り憤りの現れだった。
     女性は自分の罪をよく知って、救い主メシヤの救いを必要としていた。
    イエス様はこの女性に「罪は赦されています」と言われた。イエス様に信仰をもった時から赦されている。十字架のイエス様、メシヤイエス様しか罪は赦せない。
     シモンはイエス様のやり取りを聞きながら、心が死んでいるかのように「罪を赦すとは何者だ」とイエス様を信じようとしない。シモンにとって救いの時はこの時だった。
     :50「あなたの信仰があなたを救ったのです。」救い続けるのです。安心していきなさい。信仰の仲間たちのところに行きなさい。
    イエス様を必要とする心をもってイエス様についていこう。

    マタイ26:1-16
     ルカの女性は怒り、憤りがあった。イエス様もそれを受け入れて語っておられる。
    マタイでは過ぎ越しの祭りのことに焦点がある。過ぎ越しの祭りには300万の人がエルサレムに集まる。20万から30万のいけにえが屠られた。イエス様は世の罪を除く小羊。
    女性はイエス様がどこにむかっておられるか知っていた。
    イエス様は十字架の三日前にベタニヤを選ばれた。親が娘に結婚にむけて用意する300cc、300万。ナルドの香油。これ以上ない、最高の十字架の備えだった。
     イエス様の価値がわからない「ムダ」発言。愛もあわれみもない、価値もわからない、弟子の発言。ユダは銀30枚(2〜3万)でイエス様を値踏した祭司長の言い分を受け入れる。
    ナルドの壺は人生そのもの。愛と献身をもってイエス様についていきましょう。

    岸 義紘 先生
    JTJ宣教神学校(前学長・現講師)
  • 2018年7月20日21日 第148回

    『教会が危ない!』
    エペソ1、2章
    エペソ3、4章
    「教会が危ない!」キリストが満ちる教会
    エペソ1、2章
    教会とはなんだろう?傷んだ体験から学んだ。中学時代に先代牧師先生が癌闘病中、洗礼を授けられた。カリスマ的な先生が召されると、教会は大混乱した。人が語るメッセージ派と亡くなった牧師のテープ派に分かれて混乱状態になった。少しずつ落ち着いてきたが、「教会の分裂、分派」を考えさせられた。
    1. 教会はキリストによって罪赦された者の集まり(1:7)。 罪の中に死んでいたものだった。キリストにあって罪を全部赦された。十字架の贖いのゆえに、恵みによって生かされた。罪の残骸だらけの不完全な存在だが赦されている。グレーゾーンな存在だが十字架を見上げていこう。
    2. 教会はキリストが満ちているところ(1:23)。教会はキリストの体。教会のかしらはキリスト。御霊がそれを教えてくださる。優れた神の力、死からよみがえられたダイナミックな力を持つキリスト、すべての上にたつキリストを教会に与えれた。見えるところでなく、聖書の語ることを信じていこう。
    3. キリストは隔ての壁を打ち壊す。キリストが異なったものを一つにしてくださる。神と人とに和解をもたらし、人と人との間に平和を作る。キリストに期待していこう。

     キリストによって建てられる教会
    エペソ3、4章
    神様から離れて生活した時期があり、始めは楽しかったが、罪悪感、空虚感、段々心は渇いてガサガサになってしまった。神様にもどると目の前が明るくなり、恵みがわかった体験をした。跳ね返していたみことばが、すっと入って来た。聖書のことばを聞きたくて礼拝にもどった。
    キリストのみことばで建て上げられる必要がある
    1. 神の知恵と力をあらわす教会として建て上げられる(3:1,7)。欠けだらけ、弱い、不完全な教会を通して神の知恵、愛、力を表すところとされた。
    2. 御霊の一致を保つ教会(4:3) 一致は人が作るものではない。すでに与えられているものを保つ。表面をそろえることではない。信仰で御霊の一致を受け取る。4:5.6
    3. キリストによって建てられる教会(4:11-13)。聖徒たちを整える。外科医が外れた間接をもどすように、やぶれた網を漁師が繕うように整える。キリストによって建てられていく(4:16)。賜物は教会のために与えれている。痛みの経験も賜物。力量にふさわしく働く。1コリント1:2教会が分裂しそうだったとき、「主を呼び求めているものがいるなら、それゆえに神の教会」。
    三浦真信先生
    久遠キリスト教会牧師

    ※ 詳しくは聖会CDをお買い求めください。
  • 2018年06月15日16日 第147回

    『イエスの友情大作戦』
    ヨハネ 1:35-41
    ルカ 24:50-53
     「友情大作戦」ヨハネ1:35-41
    イエス様は私たちを「友」と呼んでくださる。イエス様との友情をはぐくむ。
    イエス様を直接会った人たちから3代目、信仰の告白やシステムも出来てきた。迫害は強くなる世代に、イキイキとしたイエス様との交わりが大切とヨハネは教えている。
     Facebookで「イイね」は楽しいだけでなく、ストレスになることもある。友達でなく人の反応の数に目が行く。人の評価が気になる。イエス様は友情をはぐくんでくださる。わたしがイエス様を信じること
    聖書の中で「神の友」と呼ばれる人はアブラハムとモーセ。彼らの共通点がある。神様から約束をもらっている。けれども「一番苦しかった」。神様の友である彼らはその中で希望を与えていただいている。
    神の「しもべ」。もっとも信頼されている人の意味である。もっと「親しい友」と呼んでくださる。命を捨てる大きな愛をもって「友」と呼んでくださる。役に立たないだけでなく、イエス様を拒むような私たちと「友」となる約束を結んでくださった。「来れば、わかっから」とイエス様は弟子たちと友達になってくださる。「いってみっか」がスタート。そしてイエス様と時間をいっしょに「過ごす」とイエス様がどのように愛してくださることがわかるようになる。イエス様は友情を捨てない。イエス様の友情を信頼していくことが大切。イエス様の友情には手遅れはない。

     「エルサレムでなくベタニヤへ」 ルカ24:50-53
    場所と結びつく経験がある。イエス様が天に上げられる場面。弟子たちと最後にすごされた。
    ベタニヤはマルタがイエス様を喜んで迎えたところ(10章)。マリヤはもてなしの手伝いをしなかったが、イエス様の足元にいてイエス様の耳を傾けていた。イエス様は彼女を評価しておられた。隔離された、差別された病気の人もいた。
    イエスさまが洗礼を受けたところも別の「ベタニヤ」だった(ヨハネ1:28)。病気の人、隔離された人、貧しい人がいるところ、社会に適応できない人もいたところが「ベタニヤ」と呼ばれていた。イエス様はそこをあえて訪ね、身を置き、滞在し(ヨハネ10)、喜んで、心休めるところ、過ごすところとしておられた。
    イエス様が大事にしていたものがベタニヤにあった。弟子たちに知ってほしいベタニヤがあった。自分を正しいとするエルサレム、成功のエルサレムでなく、友情のベタニヤにイエス様は行かれる。どこに身をおくべきか考えよう。

    米内宏明先生
    国分寺バプテスト教会牧師
    日本バプテスト教会連合理事長
    日本福音同盟(JEA)副理事長
  • 2018年05月18日19日 第146回

    『バトンを渡す!』
    マルコ3:13-19
     偉大な指導者ヨシュアの次の世代は神を主と礼拝せず、主の御業に関心を示さなくなっ
    た。次世代がバトンを渡し続けたリーダーの手本をイエス様から学ぶ。

     次世代リーダー育成のための6つの原則

    1. 次世代リーダー育成に「価値」を置くことを学ぶ。マルコ13:14-15
      イエス様は福音宣教と弟子訓練のため弟子を任命された。
    2. リーダーシップを「定義づける」ことを学ぶ。マルコ10:42-44「仕えるしもべ」
    3. リーダーの「将来、可能性」を見て選ぶことを学ぶ。マタイ4:19
    4. 「励まし」育てることを練習する。一叱る、九ほめる。ヘブル3:13
    5. 「任務中心」ではなくて、「関係中心」で育てることを学ぶ。
      一緒にいるために「身近に置き」マルコ3:14
    6. 次世代リーダーに「バトン」を渡すことを学ぶ。失敗しても赦して、励ます。
      「?私がやるから、君は見てて。?一緒にやってみよう。?君がやってみて、わたしが見てるから」

    眞島 亨 先生
    ニューホープ横浜 主任牧師
  • 2018年月4日20日 第145回

     『主我を愛す』と歌いつつ
    マタイ7:9-12
     子供の頃、両親に教えられた愛唱歌。
     成長するうちに「死」について考えた。聖書の中に答えを見出させていただいた。「神様は恐れさせるためでなく、愛して守ってくださる」と信じるとき、神様に回心する時をもった。「主我を愛す」と改めて歌えるようになった。
     人生のいろんな出来事も偶然でなく、神様の恵みによる。イエス・キリストの神との火のような体験、啓示を持つことができる。
     「神様が造られた世界に何が起こっているか見てほしい」と友人に言われて、信仰の在り方を考えさせられた。貧困、抑圧、戦争。神がないから起きるのではない。人の罪ゆえである。世界を変えることを教会に帰ることで、自分にしてほしいことを隣人にという歩みをしてきた。「主我を愛す」を一人ではなく、分かち合っていく伝道を教えられた。
     人生には出会いがある。神様が与えてくださる。両親、恩師、友人。出会い直す恵みもある。自分が巻き込まれていく。何かをするチャンス。楽しんで、喜んで、本気でかかわろう。
    周りも、昔も変えられない。今と自分は変えられる。みんなで取り組んでいこう。

    清重尚弘先生
    前ルーテル学院大学学長
    前九州ルーテル学院大学学長

    ※ 第二聖会や詳しくは聖会CDをお買い求め下さい。
  • 2018年3月16日17日 第144回

    『骨太のクリスチャンになろう』
    ヘブル12:1-3
    ヘブル12:4-13
     イエスから目を離さない ヘブル12:1-3
    人生は「旅」、「競技」に例えられる。信仰のレースはマラソンのように長く、障害物競走のようでもある。この競技の勝利のために、
    1. 過去のデータを調べ、学ぶ。作戦を立てる(:1)。旧約の人々から学ぶ。勝利者たちはスタンドで応援している。
    2. レースにふさわしい服を着る。ユニホームのように。前に進むためにブレーキ、邪魔になる重荷は捨てる(過去の栄光など)、罪はかなぐり捨てる。
    3. すぐれた指導者に従う(:2)。名コーチは選手の良いものを引き出す。イエス様から目を離さない。創始者(著者)はシナリオを描き終えている。勝利者と終わるように考えておられる。完成者である主は将来と希望を与える計画をもっている。
    4. 忍耐をもって走る(:1)。長くて苦しいから忍耐する。感謝する。「させられている」「してやってる」「させていただいている」取り組みがある。
    5. ゴールを目指して走る。勝利は一人だけではない。参加者がすべて受ける。バトン、たすきを渡すまで、自分のゴールを目指そう。
    神の訓練 ヘブル12:4-13
     「ほめると子供がダメになる」という本がある。注意されても自分を直せない。頑張る心が育たない。神様は私たちを訓練される。苦難の目的は、神の訓練。罰、バチではない。それはイエス様が受けてくださった。成長させるための訓練が私たちにある。
    1. 神様のすすめのことばを忘れない。つらいことがあっても神のあずかり知らぬことはない。弱り果ててはならない。耐えられない試練はない。脱出の道がある。終わりがある。
    2. 訓練は神様からの愛からでている。最高、最善をしたいのが神様の愛。出来ないことが出来るようになるためには練習、訓練しかない。「二度としたくない出来事が後の人生で役に立つから人生は面白い」(日野原氏)。
    3. 神様は霊のお父さん。将来のプラスを見越して訓練をされる。我慢する力は豊かな人生をする上で大切。
    苦難、訓練を乗り越えて豊かな人生を歩もう。

    安食弘幸師 峰町キリスト教会 牧師