新着情報

2017/04/22
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第135回日光オリーブの里聖会は、去る4月21・22日個人伝道研究会「地の果てまで」主宰の鈴木崇巨先生をお迎えして「聖霊様のお働き」という総合題の下に開催された。聖会要約は下記の通りです。是非とも聖会のCDをお聞きすることをお勧めします。
次回の136回聖会は2017年5月19〜20日になります。
2017/03/18
第134回日光オリーブの里聖会は、去る3月17日-18日、清瀬福音自由教会牧師の岩井基雄先生をお迎えして「苦難での主の臨在と招き、そして祝福」という総合題の下に開かれた。 岩井先生は、静かな語り口調ながらも、聖書の御言葉の奥深さを力強く語って下さった。以下、岩井先生のお話の中で心に残ったことを記させていただくが、是非とも聖会CDをお聞き下さることをお勧めする。
次回の135回聖会は2017年4月21〜22日になります。
2017/02/18
第133回日光オリーブの里聖会は、去る2017年2月17日-18日、峰町キリスト教会牧師の安食弘幸先生をお迎えして開かれた。安食先生は、ヨシュア記1章1〜9節並びにルカの福音書5章1〜9節の御言葉を中心に、クリスチャンの信仰の成熟について説教をして下さった。以下、心に留まったことを記させていただくが、毎回申し上げるように、全てを網羅できるものではない。特に安食先生の場合は、ユーモアを交じえた軽妙な口調を通して大切なことが語られている。是非とも聖会CDをお買い求めいただくことをお勧めする。
次回の134回聖会は2017年3月17〜18日になります。

オリーブ日記

  • 2018年10月19日20日 第150回

    『光に向かう道』
    1テモテ5:1-8
    1テサロニケ4:13-14
    ホッとする群れへ「その年にふさわしく」1テモテ5:1-8
      世代にふさわしく仕えることを大切にしている。あらゆる仕方で宣教をしている。
      日本人に届きたいと願い「日本人のような顔だったらいいのに」と涙された宣教師によって教会が開拓された。また自分の宣教師としての体験から「無意味なことをしない」を学んだ。一人ひとり(年齢差)を大切にした。幼子のための礼拝、幼稚科、小学下級、上級がある。未信者の親のためのクラス、韓国語のクラス、若者のにぎやかな時間をもつ。英語、韓国語の同時通訳、幼稚園、フリースクール、デイサービス、障害者支援、放課後のサービスなど取り組んできた。
      高齢者のための月1回集会キラキラ会をする。「はってでも行こう」と楽しんでいる。そこから受洗者もあたえられている。訪問介護、出張聖餐式もある。人生の最後まで礼拝できるように取り組んでいる。
      ヘンリー・ナウエンの「闇への道、光への道」の中で祖母のことを書いている。美しい老後、平安な最期がある。年を取ることは闇への道だけでなく、光にもなりうる。

    悲嘆から希望へ 1テサロニケ4:13-14
      土浦赴任で最初の告別式でむなしさを覚えた。式文通りすすめたが、遺族の悲しみを受けとめ、永遠の喜びと希望、遺族への慰めがあったろうかと考えた。また、ジャワ宣教経験から儀式の中に象徴的な儀礼(シンボル)にふれた。そこから悲しみ、慰め、希望を表せる葬儀を心がけてきた。
      お葬式は通過儀礼(人生の節目にある儀式) キリストの福音のあらわれる葬儀儀礼を考え、文化にあう取り組みをする。遺族の悲しみに共感する。教会をあげてクリスチャン遺族を励ます。長期的宣教の展望をもって取り組む。教会葬儀時の未信者へ宗教儀式を強要しないように配慮し、「教会のお葬式は良かった」と言ってもらえるように努力している。
      同じ機能をはたす代わりの機能をもつことが大切。福音をシンボルとして意味を表すものを用意する。「骨になっても伝道したい」という希望から納骨堂を宣教の基地にしている。「骨」を持つと遺族に宣教できる。記念会伝道をする。
    故人を偲ぶ家庭祭壇で「天のエルサレム」をイメージする意味を大切にする。戒名の代わりに「天名」。
      一般恩恵に基づく葬儀。教会員の未信者家族の葬儀も悩んだがやってきた。救いには預からなかったがその人も神の好意(マタイ5:45)、忍耐(2ペテロ3:9、使徒17:28、ヨナ4:10)を受け生きてきたので未信者のかたの葬儀をする。神に造られた故人に敬意をはらい、神のもとに帰る。遺族の慰めになるように心を配る。伝道は葬儀後にしていく。
    キリスト教葬制文化に取り組んでいきたい。

    清野勝男子先生
    土浦めぐみ教会主任牧師
  • 2018年9月21日22日 第149回

    『最高のものを主に献げよう!』
    ルカ7:30-50
    マタイ26:1-16
    ルカ7:30-50
     この女性の行為は一生の間で見られない光景である。:36「招いた」シツコイ、魂胆がある、終わらないまねきだった。歓迎の作法は足を洗う水、油を注ぐ、口づけのあいさつ。しかし
    シモンの家にはなかった。群衆を惑わす、赦されざる、危険人物としてイエスを考え、捕えて、訴え、死刑にするため招いた。
    この女性は裏を見抜く、裏を知る、背後の黒い情念を知った、イエス様が危険な目にあう様子を見た、侮辱と非礼を知った。女性はイエス様の足が濡れるほど涙し、髪をタオル変わりに拭き、香油を注いだ。シモンに対する怒り憤りの現れだった。
     女性は自分の罪をよく知って、救い主メシヤの救いを必要としていた。
    イエス様はこの女性に「罪は赦されています」と言われた。イエス様に信仰をもった時から赦されている。十字架のイエス様、メシヤイエス様しか罪は赦せない。
     シモンはイエス様のやり取りを聞きながら、心が死んでいるかのように「罪を赦すとは何者だ」とイエス様を信じようとしない。シモンにとって救いの時はこの時だった。
     :50「あなたの信仰があなたを救ったのです。」救い続けるのです。安心していきなさい。信仰の仲間たちのところに行きなさい。
    イエス様を必要とする心をもってイエス様についていこう。

    マタイ26:1-16
     ルカの女性は怒り、憤りがあった。イエス様もそれを受け入れて語っておられる。
    マタイでは過ぎ越しの祭りのことに焦点がある。過ぎ越しの祭りには300万の人がエルサレムに集まる。20万から30万のいけにえが屠られた。イエス様は世の罪を除く小羊。
    女性はイエス様がどこにむかっておられるか知っていた。
    イエス様は十字架の三日前にベタニヤを選ばれた。親が娘に結婚にむけて用意する300cc、300万。ナルドの香油。これ以上ない、最高の十字架の備えだった。
     イエス様の価値がわからない「ムダ」発言。愛もあわれみもない、価値もわからない、弟子の発言。ユダは銀30枚(2〜3万)でイエス様を値踏した祭司長の言い分を受け入れる。
    ナルドの壺は人生そのもの。愛と献身をもってイエス様についていきましょう。

    岸 義紘 先生
    JTJ宣教神学校(前学長・現講師)
  • 2018年7月20日21日 第148回

    『教会が危ない!』
    エペソ1、2章
    エペソ3、4章
    「教会が危ない!」キリストが満ちる教会
    エペソ1、2章
    教会とはなんだろう?傷んだ体験から学んだ。中学時代に先代牧師先生が癌闘病中、洗礼を授けられた。カリスマ的な先生が召されると、教会は大混乱した。人が語るメッセージ派と亡くなった牧師のテープ派に分かれて混乱状態になった。少しずつ落ち着いてきたが、「教会の分裂、分派」を考えさせられた。
    1. 教会はキリストによって罪赦された者の集まり(1:7)。 罪の中に死んでいたものだった。キリストにあって罪を全部赦された。十字架の贖いのゆえに、恵みによって生かされた。罪の残骸だらけの不完全な存在だが赦されている。グレーゾーンな存在だが十字架を見上げていこう。
    2. 教会はキリストが満ちているところ(1:23)。教会はキリストの体。教会のかしらはキリスト。御霊がそれを教えてくださる。優れた神の力、死からよみがえられたダイナミックな力を持つキリスト、すべての上にたつキリストを教会に与えれた。見えるところでなく、聖書の語ることを信じていこう。
    3. キリストは隔ての壁を打ち壊す。キリストが異なったものを一つにしてくださる。神と人とに和解をもたらし、人と人との間に平和を作る。キリストに期待していこう。

     キリストによって建てられる教会
    エペソ3、4章
    神様から離れて生活した時期があり、始めは楽しかったが、罪悪感、空虚感、段々心は渇いてガサガサになってしまった。神様にもどると目の前が明るくなり、恵みがわかった体験をした。跳ね返していたみことばが、すっと入って来た。聖書のことばを聞きたくて礼拝にもどった。
    キリストのみことばで建て上げられる必要がある
    1. 神の知恵と力をあらわす教会として建て上げられる(3:1,7)。欠けだらけ、弱い、不完全な教会を通して神の知恵、愛、力を表すところとされた。
    2. 御霊の一致を保つ教会(4:3) 一致は人が作るものではない。すでに与えられているものを保つ。表面をそろえることではない。信仰で御霊の一致を受け取る。4:5.6
    3. キリストによって建てられる教会(4:11-13)。聖徒たちを整える。外科医が外れた間接をもどすように、やぶれた網を漁師が繕うように整える。キリストによって建てられていく(4:16)。賜物は教会のために与えれている。痛みの経験も賜物。力量にふさわしく働く。1コリント1:2教会が分裂しそうだったとき、「主を呼び求めているものがいるなら、それゆえに神の教会」。
    三浦真信先生
    久遠キリスト教会牧師

    ※ 詳しくは聖会CDをお買い求めください。

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