新着情報

2016/07/16
2016年09月16〜17日は129回聖会です。皆様の沢山のご参加を心よりお待ちしております。
2016/05/21
第126回日光オリーブの里聖会は、立川福音自由教会牧師の高橋秀典先生をお迎えして開かれました。私たちの望みである「天国」について、改めて考えさせられる聖会でした。
次回の127回聖会は2016年06月17〜18日になります。
2016/04/16
第125回日光オリーブの里聖会は、日本ナザレン教団飯塚教会牧師の日下部繁先生をお迎えして開かれた。日下部先生は「イエスを模範とする」という総合題のもと、ご自身の証しをふんだんに交えながら御言葉を取り継いでくださった。
次回の126回聖会は2016年05月20〜21日になります。
2016/03/19
第124回日光オリーブの里聖会は、ウェスレアンホーリネス教団塩谷キリスト教会牧師の佃和男先生(第T・U聖会)と、友愛グループからし種チャペル牧師の小野恵先生(早天聖会)をお迎えして開かれた。お二人の先生は、それぞれご自身の体験(@佃先生はホスピスのチャプレン、A小野先生はそううつ病の苦しみ)を交えながら、御言葉を取りついで下さった。
次回の125回聖会は2016年04月15〜16日になります。

オリーブ日記

  • 第126回 日光オリーブの里聖会

    2016年05月21日 第126回


    『天国観を見直す』
    あなたの天国のイメージは聖書に基づいていますか?
    (イザヤ書65章17〜25節、ミカ書4章1〜8節)


     1.今日多くのクリスチャンが、「天国=死んだ後に肉体から解放された魂が行く所」ととらえている傾向がある。
     2.勿論それは間違いではないが、天国の概念を100%言い表しているとは言えない。
     3.天国とは、天にある神の正義が実現される所である。
     4.今の世は、あまりにも不条理なことが満ちている。そして、私たちはそれらを目にする時、この世で労苦することが無駄で無意味なことのように思われる。
     5.しかし、やがてイエス・キリストが再臨され、世界の全てが神の正義によって新しくされるいわゆる新天新地が訪れる。
     6.しかもそこでは、私たちの労することの全てが報われ、何ひとつ無駄になることはない。
     7.そしてそのことは、旧約聖書において全て預言されていることなのである。

    ※「天国」に関して更に理解を深める為に、高橋先生の著書「今、ここに生きる預言書」「小預言書の福音」(いのちのことば社)を一読されることをお勧めする。

    立川福音自由教会牧師 高橋秀典先生
  • 第125回 日光オリーブの里聖会

    2016年04月16日 第125回


    『イエスを模範とする』  (マタイ4:23)
    第T聖会「宣教されるイエス様」       ヨハネ14:1〜6
    第U聖会「御言葉を教えられるイエス様」 ヨハネ17:17〜19


     1.私は非常に暗い家庭環境の中で育った(9歳で母を亡くし、父はアルコール依存症)
     2.そんな私が、路傍伝道によって教会に導かれた。初めのうちは説教が全くわからなかったが、ある日説教を聞くうちに突然涙があふれ、イエス様の十字架の意味がわかった。22歳の時であった。
     3.その後、サラリーマン生活を経て、37歳の時に召命を受け、40歳で佐賀県鳥栖市にて開拓伝道を始めた。現在は福岡県飯塚市を中心に4つの教会を兼牧している。
     4.33年間の伝道牧会を支えてきたもの、それはマタイ4:23にあるように「ガリラヤ全土を巡って会堂で教え(=御言葉を教えられるイエス様)、御国の福音を宣べ伝え(=宣教されるイエ様)」られた「イエス様を模範とする」ことであった。しかもそれは、私自身の力によるのではなく、御霊による内住のキリストの力によってできたことである。
     5.聖会に集まられた皆さんが、内住のキリスト(=真理の御霊であられる聖霊)の力によって、イエス様を模範としながら福音宣教の働きに、大いに用いられるようにと心から願うものである。

    日本ナザレン教団飯塚教会牧師 日下部繁 先生
  • 第124回 日光オリーブの里聖会

    2016年03月18日 第124回 第T聖会


    『人生は出会いと選択で決まる』
    ヨハネの福音書1章43〜46
    ルカの福音書10章38〜42
    伝道者の書3章1〜2
    Uテモテ4章6〜8

     1.「人生は出会いで決まる」とはよく言われる言葉であるが、私たちにとっては「何と出会い」、その後に「何を選択するか」がもっと大切である。何故なら、その選択如何によってその後の人生が決まるからである。
      (例:蛇と出会ったアダムとエバは、神に従い通すのではなく、蛇の誘惑に負けて木の実を食べてしまった為にエデンの園から追放されてしまった。)

     2.私たちは、「創造主=神との出会い」を通して「イエス・キリストの十字架の救いを選択」しなければならない。折角神と出会っても、救いを選択しなければ、何とも勿体無い話である。その為にも、ルカ10:38〜42に登場するマリアのように、神の前に静まって御言葉に耳を傾けよう。

     3.ところで、サマセット・モームは次のように言った、「人間の死亡率は100%である」と。これはつまり「人には必ず死が訪れる」というこである。そして「死」が間近に迫って来た時、「天国の確信」があるクリスチャンは、たとえ自分の命が残りわずかであるとしても、すべてを主の御手に委ねて、感謝と喜びをもって生きることができるのである。

    ウェスレアンホーリネス教団塩谷キリスト教会牧師  佃 和男 先生

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